「抑うつのリアリズム」という話

メモ

最近、面白いと思ったこと。

抑うつ傾向のある人は、そうでない人に比べて、現実の世界を客観的に認識しているらしい。

アロイとエイブラムソンという人たちが、1979年に発表した研究によれば。

・ある確率でライトが光る仕掛けを作る。
・実験参加者には「ボタンを押すとライトが光ります」と伝えて、ボタンを押してもらう。
・実は、ボタンを押すかどうかにかかわらず、ライトは光ったり、光らなかったりする。

この実験で、抑うつ傾向のある人たちは、自分がボタンを押すかどうかがライトの点灯に無関係だったことを比較的正しく評価できていた。逆に、抑うつ傾向のない人たちは、「自分がボタンを押したからライトが光った」とと錯覚する傾向があったという。

ほかにもこんな研究がある。

レヴィンソンという人たちが1980年に行った実験では、5~6名でグループディスカッションを行い、終了後、発言などが適切にできたかを自己評価と他者評価の2軸で評価した。

抑うつ傾向のある人たちは、自己評価と他者評価がだいたい一致した。逆に、抑うつ傾向のない人たちは、自己評価のほうが他者評価よりも高くなる傾向があったという。

抑うつ傾向がある人たちの自己評価が低いのは、自分をネガティブにゆがめているからではない。むしろ自分を客観的に評価できているのだ。 抑うつ傾向のない人たちは、自己認知が自信過剰な方向にゆがんでいるともいえる。 抑うつ傾向のある人こそ、現実をネガティブに解釈するのではなく、正確に捉えているのである。

この傾向は「抑うつのリアリズム」というらしい。

これを知って、なるほどと思うところがあった。

あるところでご一緒している人。何かにつけて「自分が○○をしたことがきっかけで、ここが良い方向に変わった」というようなことを告げてくる。 しかし、それを聞いてもたいていピンとこなかった。あえて口には出さないが、内心「たまたまじゃないのかなぁ」「それは気のせいだと思うけどなぁ」「別にそんなに良い方向に変わってないけどなぁ」「なぜそんなにも自己評価が高いのだろうか」と正直、不思議になっていた。

たしかに、あの人、ポジティブだなぁ。

あの方がちょっと不思議な気がしていたが、抑うつ傾向のない人というのは、えてして、そういう発想なのかもしれない。

現実を正しく評価することは、とかく重要だと思われがちだけど、自分自身のことについては、ときに客観性や正しさを無視できたほうが、楽に生きていけるのかもなぁ。

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